対外保安総局(DGSE)

Direction Generale de la Securite Exterieure (DGSE)

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■DGSE指導部

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長官:ジャン-クロード・クッセランJean-Claude Cousseran

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長官個人秘書:ドミニク・シャントー(Dominique Champtiaux)少将

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戦略局長:ブルーノ・ジュベール(Bruno Joubert

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管理局長:アンリ-ポール・トロール(Henri-Paul Trolle

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情報局長:ジャン-ピエール・ポション(Jean-Pierre Pochon

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技術局長:ジャン-フランソワ・シリエール(Jean-Francois Silliere

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作戦局長:クサヴィエ・ブ・デ・マルナク(Xavier Bout de Marnac

■DGSEの機構

DGSEの機構図

 DGSEの本部庁舎は、パリ第20区のCaserne des Tourelles、128 Boulevard Mortier、75020に位置する。DGSEは、第二次世界大戦時に活動していたいくつかの各種特務機関に基づき創設された。自由フランス軍において、1942年、中央情報・行動局(BCRA)が創設され、その本部庁舎は、1943年11月から、アルジェリア領土で活動し、その時までに「特殊戦力総局」(DGSS)の名を得た。1944年11月6日、レジスタンス運動の諜報網は、DGSSのシステムに統合され、「研究・調査局」(DGER)に改称された。しかしながら、この機構は、レジスタンスの諜報員中に はソビエト諜報部のエージェントが多く存在し、フランス特務機関の聖地に入り込んだため、冷戦時代は役に立たなかった。その結果、1946年、第四共和国政府は、首相に直属する対外文書・防諜庁(SDECE)を編成した。この官庁は、インドシナ、ラオス及びベトナム領内での特殊作戦の実施に積極的に参加した。

 1962年、ドゴールは、SDECEを国防相に再従属させ、その任務層を軍事問題にのみ限定した。ドゴールは、民族主義及び分離主義運動の支援に関するケベックでの秘密作戦を承認した。ジャック・フォッカーは、 このために、SDECEの数人のエージェントをカナダに派遣した。1968年、フォッカーとSDECEは、ナイジェリアの石油の豊かなビアフラ地区での蜂起を扇動して、英国人とアメリカ人からナイジェリア石油に対する支配権を奪おうと試みた。

 1972年に社会党と共産党が提出した「総合プログラム」は、SDECEを解散する共産党の要求を含んでいた。この要求は、社会党員により支持されなかった。しかしながら、権力を掌握して、社会党員は、SDECEの「文明化」を試みた。1981年6月、元パリ空港局長ストーン・マリオン(Stone Marion)が、SDECE長官に任命された。1982年4月4日、SDECEは、DGSEに改称された。

 1996年、局の要員数は、文民1,700人を含む2,500人に達した。公式予算は、1,350,000,000フランに達する。今日、DGSEでは、4,050人が働いており、近い将来、4,500人となるだろう。 年間予算は、約2億6千万ドルで、同局は、ほぼ同額を首相の特別基金から得ている。

 DGSEの管轄には、フランスの安全に関係する情報の収集及び分析、国外でのフランスに対する破壊活動の摘発及び予防、必要な場合、国家利益のための機密作戦の実施等、広範な任務と義務が含まれる。国防省配下にも拘らず、局の定員では文民が優越し、制服1人に対して2人の定員が当たる。出版物に現れた情報によれば、最近、経済、情報学、精密科学のような部門における上級専門家の集中採用が行われている。

 1999年12月30日、独立新聞は、「フランス諜報部、機能不全」という記事を掲載し、DGSE長官ジャック・デワトル(Jacques Dewatre)が解任され、近い内に、どこかの国の大使として派遣される と主張した。理由は、ユーゴ戦役時、DGSEが上手く立ち回れなかったことである。DGSE長官には、2000年3月23日、ジャン-クロ−ド・クッセラン(Jean-Claude Cousseran)が任命された。

■ジャック・デワトル

前DGSE長官ジャック・デワトル 1936年に生まれ、軍事教育を受け、内務省の局長として勤務し、仏領(1986/88年仏領ギニア、1991/92年ラ・レニオン)で働いた。彼はまた、1981年から1984年まで、協力・発展省官房長補佐官として勤務した。1993年、デワトルは、DGSEに入った。1996年6月7日に局を指揮した。2000年5月8日から大使。彼は、妻帯、5児の父である。レジオン・ド・ヌール勲章所持者。

 

 

 

 

 



■ジャン-クロ−ド・クッセラン

DGSE長官ジャン-クロ−ド・クッセラン 「行動する外交官」と考えられている。彼は、70年代のイスラム革命時のテヘラン、80年代のレバノンで認められ、駐ダマスカス大使だった。1989〜92年、彼は、DGSEの戦略局を指揮した。DGSE長官任命まで、駐トルコ・フランス大使として勤務した。3月23日、DGSE長官に任命された。

 

 

 

 

 

 

 

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最終更新日:2004/10/01