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戦後のハイパーインフレ

それでまあ戦時国債・戦時手形等の発行しすぎで、戦後にはハイパーインフレになったとさんざん書いてきましたが、 実際はどんな感じだったんでしょうか?

1.「値段史年表 明治・大正・昭和」

そこで「値段史年表 明治・大正・昭和 週刊朝日編」という本を図書館から借りてきましたので、 ここから抜き出して見ましょう。これです。

小豆
(1升)
ガソリン
(1L)
鰹節
(1本)
牛肉
(100g)

(1g)
金太郎飴
(1本)
鶏卵
(100匁)
小麦粉
(10s)
砂糖
(1Kg)

(1Kg)
焼酎
(1.8L)
醤油
(1.8L)
タバコ
GOLDEN_BAT
豆腐
(1丁)
都電乗車賃入浴料白米
(10s)
ビール
(1本)
マッチ
(10本)
味噌
(1Kg)
昭和 9年  \0.10     \3.43       \0.38 \0.070 \1.02   \0.07   \0.07 \0.07        
昭和10年\0.33 \0.12     \3.20 \0.03   \2.00     \1.02   \0.07 \0.05 \0.07 \0.07 \2.50      
昭和11年\0.43 \0.13 \0.30   \3.60       \0.40   \1.02 \0.50 \0.08   \0.07 \0.07       \0.24
昭和12年  \0.15   \0.41 \3.84         \0.066     \0.08   \0.07 \0.06   \0.37 \0.12  
昭和13年        \3.85   \0.31   \0.43 \0.074   \62.00 \0.08 \0.06 \0.07 \0.06        
昭和14年\0.48 \0.17       \0.05 \0.34       \1.68   \0.09   \0.07 \0.06 \3.25 \0.41   \0.20
昭和15年\0.65 \0.22     \4.61   \0.44       \2.25   \0.09 \0.06 \0.07 \0.06        
昭和16年            \0.48     \0.076     \0.10   \0.07 \0.06   \0.57    
昭和17年  \0.31           \3.00   \0.079     \0.10 \0.07 \0.07 \0.06     \0.20  
昭和18年          \0.05       \0.077     \0.15   \0.10 \0.80   \0.90 \0.30 \0.29
昭和19年      \0.46     \0.59       \5.00 \0.77 \0.23 \0.10 \0.10 \0.12   \1.30 \0.40 \0.35
昭和20年\0.72   \20.00 \0.80 \4.80   \1.50 \4.00     \8.00 \1.07 \0.35 \0.20 \0.20 \0.20 \6.00 \2.00 \1.50  
昭和21年\2.26 \1.20 \35.00 \6.00 \17.00 \5.00 \15.20 \21.00   \1.140 \10.50 \32.90 \1.00   \0.40 \0.70 \19.50 \6.00 \3.00 \1.86
昭和22年\4.20 \7.90 \50.00 \8.80 \75.00 \10.00 \39.10 \104.00   \4.930 \33.00 \52.60 \2.50 \1.00 \1.00 \3.00 \99.70 \59.61 \4.10 \6.34
昭和23年\21.70 \14.00 \65.00   \326.00   \93.70 \266.00   \12.480 \700.00   \6.00 \8.00 \3.50 \10.00\149.60 \162.20 \15.00 \13.47
昭和24年\43.70 \17.70 \75.00   \385.00   \121.70 \405.00   \21.660   \56.10 \15.00   \8.00 \10.00  \126.50 \20.00 \25.47
昭和25年\57.00 \23.00 \145.00 \37.00 \401.00   \86.90 \425.00   \18.250 \450.00 \87.84 \30.00 \12.00 \8.00 \10.00\445.00 \125.00 \20.00 \34.67
昭和26年\177.50 \24.60 \170.00   \585.00     \485.00   \21.830 \360.00 \140.40 \30.00 \10.00 \10.00 \12.00  \123.00 \15.00 \53.33
昭和27年  \34.00 \140.00 \72.00       \497.00   \21.330 \420.00   \30.00 \12.00 \10.00 \12.00  \130.00   \66.67
昭和28年  \36.00 \200.00   \585.00 \15.00 \93.20 \511.00 \120.00 \21.000 \340.00   \30.00   \10.00 \15.00\680.00 \107.00 \20.00  

断っておきますがこの本、明治から昭和62年までの値段は書いてありますが、 もともと完全な表でなく調べて分かった分だけなので、元から抜けが多いです。特に戦前の分は。 それと情報元は全て書いてあるのですが長くなるので書きません。知りたい方は元本の方を読んでください。 その中から昭和9〜28年まで、20年分の資料が比較的分かりやすいものを選んでいます。 それと中には何月まで書いてあって、年2回以上の値段が書いてあるやつも有ったのですが その辺は適当に処理しています。 私は経済学の専門家では無いので、この場合はどう処理すれば良いか知りませんから、 インフレの参考に出来るレベルの表だと思ってください。

しかしまあなんです。この時期は昭和14年から国家総動員法により価格統制が始まってますので、 資料がいい加減なものが多いです。 書いて有っても、公定価格・統制品・戦時配給統制・戦時中製造中止とまあ実態が判断しづらいものばかりです。 砂糖なんて14年に統制品になって28年に解けるまでは正式な価格は無かったりします。 実際価格は闇価格の方が分かれば正確なんでしょうけど。 昭和16〜20年のデータはこの辺を差し引いて見てください。 ちなみに28年までなのは、価格統制が完全に終了したのが27年だからです。 ずいぶんと時間がかかったもんです。

ついでに比較的この時期のデータが多かった練炭だけグラフにしてみました。
練炭グラフ
注:練炭1袋(高4号、14個入り)の東京での小売標準価格。昭和26年以降は年平均。 資料提供:品川燃料、ミツウロコ、総理府統計局

練炭は今では見たこともない人が増えているので説明しますが、 石炭・木炭などを粉にして粘結剤と一緒に加圧形成した燃料のことで、調理用・暖房用の燃料に使います。 ガスが普及する前、電気代が高かった時代は、どこの家庭でも当たり前に使ってました。 よく昔の映画なんかで、七輪でサンマを焼いているのが有りますが、それの燃料です。 ただ燃えるときに一酸化炭素を出すため、気密性が高くなった現代の家屋で使うと中毒起こして死人が出ますので、現在ではほとんど使われていません。 すきま風が吹き込む当時の家ならではの燃料です。

昭和初期の燃料は通常、木炭が使われていて、火力調節がしやすい練炭は高級燃料でした。 おかげで木炭は統制品になって価格が不明ですが、練炭は公定価格程度ですんだらしく価格がちゃんと残っている。 と言うことで季節変動(冬は暖房用に多く使用される)はあれど、当時の必需品でも有るので、 実際のインフレがどういう状態だったか見るのにちょうど良いのでは無いかと。 今で言うとガス代とか電気代の値段だと思えば良いでしょう。

ほかの商品もグラフを書くと似たような感じになるはずですので、 グラフの上がり方だけ参考に見てください。 ついでに言えば、闇価格はこのグラフよりも半年から1年ほど先に上がっている、 と考えてもらえればだいたい正確では無いかと思います。

しかしまあ見事なものです。昭和20〜27年の間が約200倍のインフレになってますね。 手持ちの利札附債券には昭和24年からの利札が残っているものが多いのですが、 このグラフを見るとどうして換金しなかったのか原因がよく解ります。 この状況ではわざわざ換金する気も無くなりますわ。

そう言うことで、この昭和13年の貯蓄債券実物大 などは、買った時は10円で金太郎飴200本買えていたのが、 償還されたときには15円で金太郎飴1本しか買えない値段になってしまいました。 こうしてすっかり換金あきらめられ紙屑になった債券は、書類の束の中にでも埋もれて忘れ去られ、 その後、遺産整理などをしているときひょっこり顔をだして、アンティーク品として売りに出され、 こうして私がコレクションをしています。



2.「日本近代史辞典」

などといい加減な資料を基に書いていましたが、ネットオークションでちょうど良い本を手に入れました。
「日本近代史辞典」(京都大学文学部国史研究会編 昭和45年 第10版)
色んな事が書いてあるので近代史のアンチョコとして使える本です。 早速ですからこの本の表の中から、戦後インフレの参考になりそうな物を抜き出してグラフにしてみましょう。

通貨流通高
グラフ
まずは通貨流通高、日本銀行券(紙幣)+政府紙幣+補助貨幣(硬貨)の市場流通合計金額です。 要するに国内にどれだけの現金が流通しているかのグラフです。

戦争の為に政府が民間から物資・労働力を調達すると、民間に大量のお金が流れ、それがインフレを引き起こします。 そこでインフレを防ぐために、政府にお金が戻っきて通貨流通量が増えないようにする政策が、国民に国債を買わせると言う物でした。 それでも戦局悪化の為に昭和19年までにもかなり増えています。

終戦によってこの政策が取れなくなると、国民としては苦しい生活を何とかするために、一斉に貯蓄を引き出そうとしますから、 極端に通貨流通量が増えることになります。こうして戦後のハイパーインフレが起きたわけです。

インフレを防ぐために昭和21年春には、「預金封鎖」「新円切り替え」が行われたのですが、ほとんど効き目が無かったのがよく解ります。

24年の伸びが少ないのは、この経済混乱の対策のため、米大統領特命公使として来日した、 ジョゼフ・ドッチによるドッチラインの影響です。


東京の卸売物価指数
グラフ
日本銀行統計局の資料を基にした、東京の卸売物価指数です。 昭和9〜11年(1934〜6年)の平均を100としたデーターになっています。

このデーター、月ごとの値になっているところがありがたいです。 普通の状況ですとインフレのデーターなどは年平均の表で十分なのですか、 戦後のインフレ時期は、月データーでないと分かりにくい。 一月で30%上昇なんかがざらに有りますから。 戦時中であった昭和9〜19年間も2.5倍のですから、グラフの取り方によっては相当なインフレなんですが、 その後のインフレは・・・、笑うしか無いです。その前の10年分が直線にしか見えない

この手のグラフで一番難しいのが、重要なのが期間に対するインフレ率と値段の上昇だという点。 何も考えずに見ると25〜26年に掛けての上昇が大きいように見えますが、この間40%ほどなのでまだたいしたこと無い(?)です。 20〜21年の上昇が約10倍ほどなので、この時期が一番苦しかったはずです。 こういうグラフにするとその点が見えにくいのが難点。 ハイパーインフレの場合、通常のグラフで状況を表現するのが難しいですね。 このグラフを見る場合は上昇率の方が問題で有ることを考慮して見て下さい。

それでは一応、解説をやってみます。

昭和9〜11年
戦前安定期の最後。

昭和12〜19年
戦時中。この間、普通なら戦時インフレで相当上昇するはずですが、価格統制・配給制・国債発行などの政策で何とかインフレを防いでいます。 しかし結局は2.5倍ぐらいに上昇しています。 実際は闇市場も発達していますので実態とは言えないでしょうけど。 闇価格も18年末あたりから相場を持ち始め「国民相場」と呼ばれたそうですから、 このあたりから闇経済の規模が無視できないほど大きくなって行ったようです。 実際に日銀による闇相場の統計まで残っています。 ですから実際のハイパーインフレは18年末から始まったと見るべきでしょう。

昭和20〜21年春
終戦前後の期間。B29による焼夷弾空襲によって全国の都市は焼け野原。 さらに本土決戦準備のために軍が大量の物資を発注。これによりインフレが発生します。
しかも終戦後、国民は生活の為にそれまでの貯蓄を卸にかかり、 さらに何をちと狂ったか、政府が軍発注物資の代金を一挙に払ったため、 一度に通貨供給量が増えて強烈なインフレになります。 庶民は持っている物を少しずつ闇市で売って暮らす「タケノコ生活」。 それでも空襲よりはよほどましです。

昭和21年春〜22年春
インフレ対策のために、この年の2〜3月に掛けて政府が行ったのが「新円切り替え」「預金封鎖」。 通貨供給量を減らすため、5円以上を新紙幣(新円)に切り替えると言う理由で強制預金させます。(旧紙幣は3月3日を以て流通停止) さらにその旧円預金を封鎖して、一家族が1ヶ月に引き出せる金額を500円とかに制限させます。 これが「500円生活」の時代。 確かに通貨供給量は一挙に減らせますが、インフレ防止策としてはかなりの強攻策です。
実際、「新円切り替え」はあまりにも急に行われたので、紙幣の印刷が間に合わず、旧札に証書を張っただけの10円札まで出されました。 新円でも二宮尊徳の一円札など非常にちゃちな印刷です。 このとき切り替えに引っかからない小額紙幣や硬貨が重宝され、釣り銭拒否の現象まで起きています。
そうはいってもインフレ防止の効果は有りますから、しばらく物価は安定期に入ります。 それでも復興の最中なのでジリジリと上がっては行きますが。こ時期が闇市の最盛期でもあります。

昭和22〜24年
一通り焼け跡の処理も終わり、インフレも収まりましたので、次は職、産業の復興を目指します。 最初は繊維産業など軽工業が復興、次は重工業。 昭和21年10月、復興金融金庫法公布、翌年1月1日同金庫開業。 ここが企業に資金を貸付、国内産業の復興を図ります。 乏しい資源と資金を集中導入して石炭と鉄鋼を増産し、経済復興を軌道に乗せようとする「傾斜生産方式」。 昭和22年には石炭生産目標をほぼ達成しますが、この資金が再び大インフレを招きます。 いわゆる「復興インフレ」の時期。
財政的裏付けのない資金投入をするとどうなるか、良い見本みたいな物です。 この時期の税収なんて全く当てにならない物でしたから。 あまりにも酷いので一度は資金を絞りますが、そうするとインフレは収まるが大量失業が発生。 資金投入を再開するとインフレが再発、とどうしようも無い状態。

昭和24〜25年中盤
日本のこの状況を何とかするために、米大統領特命公使として2月にジョゼフ・ドッチが来日。 彼は元デトロイト銀行頭取で、前にはドイツに派遣され通貨改革を成功させた人物、その道のプロですね。 すでに米ソ対立、いわゆる冷戦が始まっており、アメリカとしては日本・ドイツ経済の立て直しは急務でした。
そのドッチは日本経済を「日本の経済は両足を地につけていず、竹馬にのっているようなものだ。竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。」 と評価「竹馬経済」。そこでドッチが取ったのが「ドッチ・ライン」
・財政緊縮:24年度予算を歳入超過の超均衡予算で編成。
・公共事業費半減
・公共料金値上げ
・価格差補給金削減:安い公定価格維持のために、政府が生産費を埋め合わせる目的で払っていた補助金の削減。
・復興金融金庫の復興債発行禁止
・為替レートの設定:1ドル=360円
・税制改革:シャプウ勧告に基づく直接税中心の公平税制
などなど。要するに財政・経済超健全化政策。
これでインフレは一挙に収束。代わりに倒産続発・失業者増大、「安定恐慌」と呼ばれた大不況になります。

昭和25年中盤〜26年
折からの冷戦の中、昭和25年6月25日、北朝鮮軍が突如南進。朝鮮戦争が勃発します。 米軍を中心とした国連軍の参戦で、日本は兵站基地として重要な役割を担うことに。 戦時物資や役務の調達に伴う需要が増大。特別需要、いわゆる「朝鮮特需」が発生。
これにより日本経済は一転して好景気に。財政健全化の中でのインフレなので極めて健全なインフレです。 これで戦後の日本は、経済の立ち上げに成功します。

昭和26年以降
経済の立ち上げに成功した日本は、その後、東京オリンピック後まで続く、戦後の「高度成長期」に入っていきます。

こんな所でしょうか。しかし結局、この20年間のインフレは350倍ですか。 「戦時債券は紙くずになった」と言われるわけです。


米価
グラフ
米1石(約60kg 玄米)あたりの値段です。これも1月ごとの価格が出ていてありがたい。

昭和14年11月までは深川にあった東京米穀取引所の標準米平均価格。 以降は公定価格制が取られたため、農家からの政府買い取り価格、生産者米価です。 昭和15年以降が直線の段々になっているのはこのため。

米価は、「価格統制令」に基づいて公定価格になって以降、 15年10月の「米穀管理規則」「臨時米穀配給統制規則」、 17年2月の「食糧管理法」(食管法)と来て国家管理になっていきます。 米は自家米を除いて政府が全て農家から強制買い上げ、 国民には配給で渡す方式。ちょうどそう言う時代の米価です。

とは言いましても、農家だって米を売って生活しているわけで、 インフレが進んでいるのに買い取り価格が変わらないと、当然政府に供出せずに闇に流すことになります。 いわゆる闇米。そこで政府は米を集めるために買い取り価格を上げざるを得ませんから、 インフレに少し遅れる形で上がっている思って下さい。 それと収穫時期に合わせて上げています。

農家以外の庶民は戦中戦後は配給です。 米穀配給帳を配給所に持って行くとタダでもらえました。

ただし最初のうちから大量の外米が混じっていたり、精米も5分突き。 「5分突き」とは知らない人も多いのと思うので説明しておきますが、米は収穫した後、玄米で保存します。 これを米屋とかで売る前に、米粒の周りの糠を落とす精米をして、白米にして売るわけですが、 「5分突き」は精米を半分しかやってない米のこと。 政府は精米機の燃料を節約する為にこういう物を配ってました。 ただこれでは不味いので、配給を受けた人は自宅で精米をしていました。 よく当時の映像で、子供が一升瓶に入れた米を棒で突いている風景が有りますがあれです。 (私はアニメ「巨人の星」で昔の回想シーンになると、明子姉ちゃんが必ずこれをやっていたのを記憶しているんですが、 今の人はそれも知らないだろうか?。私には戦中戦後の子供はこれをやっているイメージがあります。)

それでも米の配給があったうちはまだましで、そのうち遅配は当たり前、配給もイモ・豆・粉になってしまいます。 足りない分は闇で高額の物を買わざるを得なくなっていきます。 子供だけには食糧を、と言うことで小学校(国民学校)の給食が始まったのも19年の4月です。

昭和20年などは、米価が最後に一挙に上がっていますが、この年の収穫量は例年の6割と言われている年なので、 農家もこの値段ではほとんど供出しなかったんでは無かろうか?。 闇相場が出来た18年末から、20年末までの米価は、実際は斜め直線ぐらいになっていると思われます。

このグラフはその辺の事情を加味しながら見るのがよろしいかと。

しかし生産者米価は最終的に昭和28年で9000円台ですか。 現在でもこの倍ぐらいだったはずです。


政府借入金総額+一般会計総額
グラフ
政府借入金総額のグラフです。このデーターだけは財務省のHPから取ってきました。単位は100万円です。 それだけでは分かりにくいので、資料にあった政府の一般会計歳出総額のデータも合わせてみました。

昭和19年度から借入金総額と国債総額の差が広がっているのは、短期債券と政府借金が増えたためです。 一般家庭で言うなら、銀行からの借金でなく、酒屋さんへのつけ払いが増えたような物だと思って下さい。

他のグラフは昭和20年より前が直線になってしまい、分ける必要が有るのですが、 政府借入金総額グラフはちゃんと一枚で問題ないです。 ちなみに25年度分が一度減っているのは、例によってドッチ・ラインの影響です。

間違えては困りますが、このグラフ、前半の9〜19年の間も、ここだけ取り出してグラフを書けば相当な増え方だと言うこと。 上にあるグラフを見過ぎていると感覚が麻痺してきますが、あちらは限度を超えた異常グラフなので。

有る意味、国の借金総量というのは、このグラフ以上の増え方は出来ないのではないかと考えています。 一定限度を超えると、国が信用を失いハイパーインフレが起きて、実質総額では増えなくなるのではないかと。

そこでもう少し見やすくするために昭和20年で切って調整したのがこれです。 (Excelは便利ですね。)
グラフ
ちなみにこの一般会計歳出総額の中には国防費は含まれていますが、戦費は含まれていません。 国防費は通常の軍隊維持費の事で、戦費が戦争に掛かる費用の事です。

で、その戦費なんですが、これは臨時特別会計になっていて一般会計とは別です。 しかも終了後に一度に決算する単年度決算方式。 そう言うことで最終的な政府統計は残っているのですが、年度ごとのデータは残っていません。 まあグラフを見れば解るとおり、国債の増え方から推測はつきますが。 私は経済学者じゃないのでその辺の計算は止めときます。

それと昭和17〜21年間の国防費は一般会計に入らず、戦費へ組み込まれています。 17年度から一般会計の伸びが鈍っている様に見えるのはこのためです。 戦後は戦争処理費として再び組み込まれています。

右のグラフを見てもらえば解りますが、やはり戦争は金が掛かる。 国債総額の伸びが急速です。 このHPに大量に有る、支那事変国債とか大東亜戦争国債というのがこの部分でしょう。 戦時貯蓄債券・戦時報国債券・郵便貯金などもほとんどこの戦時国債の購入に充てられていました。

そこでもう一工夫。今度は一般会計と政府借入金総額の割合をグラフにしてみました。 (やっぱExcelは便利だわ。)
グラフ
計算式は「政府借入金総額/一般会計総額*100」で%表示です。

昭和9年時点で、すでに借入金総額が一般会計、いわゆる国家財政の4.5倍も有って財政破綻が懸念されていたのですが、 戦争が始まると、とんでも無いことになっています。最終的には9倍強ですか。

それが戦後になると戦後のハイパーインフレのために一転して1倍に落ちています。 これなら財政破綻を起こすことなく償還が可能なレベルです。 と言いますか、国家が財政破綻を起こすとハイパーインフレが起きて、国家の借金が返せるレベルに戻るのではないか? が私の持論ですけど。

実際、22〜24年に掛けても復興債券を大量に出しているはずなのですが、借金の比率のは逆に減っています。 つまりこの分の無理な借金での無理な資金投入は、そのままインフレに化けしまいました。 ちなみにこの復興債券は金融債だったのでほとんど残っていないようです。

代わりに国民が買った国債は完全に紙くずになって、私がコレクションすることになりましたが。

折角なので使用したデータ表も書いておきます。

政府借入金総額国債総額一般会計歳出総額
昭和 9年\9,780 \9,090 \2,163
昭和10年\10,525 \9,854 \2,206
昭和11年\11,302 \10,575 \2,282
昭和12年\13,355 \12,817 \2,709
昭和13年\17,921 \17,345 \3,288
昭和14年\23,566 \22,886 \4,494
昭和15年\31,003 \29,848 \5,860
昭和16年\41,786 \40,470 \8,134
昭和17年\57,152 \55,444 \8,276
昭和18年\85,115 \77,556 \12,552
昭和19年\151,952 \107,633\19,872
昭和20年\199,454 \140,812\21,496
昭和21年\265,342 \173,125\115,207
昭和22年\360,628 \209,423\205,841
昭和23年\524,409 \280,433\461,974
昭和24年\637,286 \391,415\699,448
昭和25年\554,008 \341,423\633,295
昭和26年\645,463 \362,867\749,838
昭和27年\826,679 \437,454\873,942
昭和28年\851,135 \543,563\1,017,164




3.そして現在

そして、このむちゃくちゃな事態に対して戦後に政府も反省しまして、昭和22年4月、財政法が制定されます。 一部書き出してみましょう。

財政法
第一章 財政総則

第四条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。
第一項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。
 
第五条 すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

要するに、「担保がない公債の発行禁止」「日銀の公債引き受け禁止」を定めました。 国の経済がこんな事になってしまっては、当然の話でしょう。 と言うか、担保や返済計画無しでの債券発行なんて無責任なこと、民間企業では絶対やれません。

しかしご存じのようにいつの間にか日本政府は借金漬けになっています。 これがどういう法律に基づいて発行されているのか、財務省のHPに行って調べてみました。

【 建設国債・特例国債・財政融資資金特別会計国債 】

国債には建設国債や特例国債(赤字国債)といった種類があるようですが、種類別に販売されているのでしょうか?
「建設国債」や「利付債」って何?

国債は以下の法律に基づいて発行されています。

(1)財政法(第4条第1項ただし書)
: 建設国債( 国の資産を形成するものとして、公共事業費、出資金及び貸付金の財源に充てるために発行される国債)
(2)各年度における特例法
: 特例国債(税収及び税外収入等に加えて、建設国債を発行してもなお不足する歳出財源を補うため特例的に発行される国債)
(3)国債整理基金特別会計法(第5条及び第5条ノ2)
: 借換債(各年度の国債の整理又は償還のための借換えに必要な資金を確保するために発行される国債)
(4)財政融資資金特別会計法(第11条)
: 財政融資資金特別会計国債(財政融資資金において運用の財源に充てるために発行される国債。いわゆる「財投債」)

・・・・、(1)(4)は財政法に基づいて発行されているようですが、(2)がいわゆる赤字国債で、 (3)が赤字国債償還の為の自転車操業国債?ですね。

あの時代に何が起こったのか完全に忘れ去られています。「昭和は遠くなりにけり」と行ったところでしょうか? 実際、歴史を調べると「戦後は終わった」と言われてしばらくたった、 昭和41年から建設国債が、昭和50年から赤字国債が発行されています。

そして平成不況では最大の禁じ手、「日銀の国債引き受け」が復活したようなのですが、 こちらは詳しい状況を調べられませんでした。




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